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姫路市は太平洋戦争末期1945年の夏に2度の空襲を受けた。しかし、今日では空襲の悲惨な状況や戦争の記憶は風化し、その時代を語る人びとも数少なくなった。 本館は、戦争の悲惨を伝え、恒久平和を希求する施設として設置された。あくまでも、姫路市の空襲に視点をおき、戦時下や復興期の姫路の人びとのくらしの展示を行っている。 ●空襲を体感する空間を設置し、その前後に戦時中・戦後を配した。 ●空襲は、スライド映像と模型がリンクする演出とし、音響・照明と映像そして戦災資料が、「姫路の空襲」を語るという凝縮した装置空間とした。 ●戦時中、空襲、戦後のそれぞれに街並み模型を配置し、時代相の理解の手掛かりとした。